先日友人に誘われて「人生フルーツ」という映画を観ました。建築家、都市計画家である津端修一氏の晩年の生活をドキュメンタリーとして記録した映画です。
津端氏はこの映画を通して知った建築家でしたが調べてみると少し身近に感じられました。荒木さんが勤めていたレーモンド事務所に勤め、その後父が勤めていた住宅公団に勤めたとのことでした。加えて僕自身が幼少期を過ごした多摩平の団地や、取り壊し前に見て歩いた阿佐ヶ谷住宅のマスタープラン設計者ということでした。
高度成長期の合理的な開発が進められた時代にあって早くから共生をテーマとした計画を構想していた建築家で、高蔵寺ニュータウンでは「風の通り道となる雑木林を残す」や「山の形状を記憶として残す」というあり方を提案するも実現には至らなかったことが紹介されていました。
映画は部分的に若き日の姿を紹介しながら最晩年の妻と過ごした半自給自足の暮らしぶりを切り取ったものでした。その中で印象的だったのは、庭を雑木林にしてそこで育てた野菜や果物を収穫して食べる(キッチンガーデン)、ニュータウン開発で禿山となったところにどんぐりを撒き森を育てる、落ち葉を集め腐葉土を作り土を育てて次の世代に残す、プラスチックが駄目だからと子供のおもちゃを木で作る、といった姿でした。
人間が本質的に求める豊かさを見定め、自ら実践して積み重ねた人生。若い頃の仕事のスタイルから亡くなる間際の生活スタイルまでが一貫してつながっているようでした。時間がかかっても価値あるものをコツコツと自分の手で作り、育て、残すのだという強い意思が伝わってきました。
「共生」や阿佐ヶ谷住宅のテーマとなった「コモン」という言葉は学生の頃内井昭蔵先生がよく口にしておられました。内井先生はFLライトの研究者でありレーモンドはライトの弟子として日本に来た建築家です。荒木事務所ではレーモンドの建築を見に行って勉強会をしていました。またキッチンガーデンは卒業設計の際に取り組んだエディブルランドスケープ(食べられる景観)とつながりました。
大変大雑把に展開しましたが津端氏の取り組みはこれまでの自分とつながった感覚があり、今後の生き方のヒントをもらえた様な気がしました。